紫炎


1




 冗談じゃない、と素直に思った。
 なんだそれは、納得できるか、と。 何せあっちは妾腹の子で、こっちは正妃の娘なのだ。
 それが、まさか。あってたまるか。有り得てたまるか!
 ……というのはまあ、心の内だけで。顔はにっこり、薔薇のようだとさえ評された、あの笑顔で。
「おめでとうございます、殿下」
 取合えず一刻も早くこの男の前から姿を消したかったのだけれど。





 北の方、北世海までは行かないあたりに、キャルゼア王国という、小国でも大国でもない、とても中途半端な大きさの国があった。因みに特産物は麦と葡萄酒とキノコである。
 そこに、エルメール3世という、やっぱり平凡な王がいた。
 平凡とは言っても、この平和な世でその平和さを後世に受け継げるくらいの力はあったのだから、そんなに劣った王というわけでもなかったのだろう。大した問題がなかったから平凡な、と賞されているわけで、何か大問題があったら偉大な名君と言われていたかもしれない。

 その王が、不意に崩御した。
 まだ50になったかどうかという若さで、ぽっくりと死んでしまったのだ。死因は落馬だとかいうから、人生何が起こるか分からない。
 王にはふたりの子供がいた。

 1人は妾の子で、王子。

 もう1人は正妃の子で、王女。

 当然、後を継ぐのは正妃の子である王女のはずだ。
 そう、それは当然で、必然のことであるはずだった。

 けれど王が死ぬ寸前に指名したのは、王子の方であった。


「そりゃあわたくしは愛されなかった女の娘だっていっても、酷すぎるわいくらなんでもあんまりよお父様の馬鹿―!!」
 ……と姫は叫びたかったそうだが、もちろん、表立ってそんな事を言えるはずもなく、死にそうな父親の前でしおらしく、その死を嘆いて涙に暮れていたという。涙の理由が本当に父親の死であったかどうかは分からない。






 正妃たる母親は、とうにこの世を去っていた。とは言ってもそれが本当かどうかはシャーリーには分からない。男をつくって駆け落ちでもしたのではないかと疑ってすらいる。
 何しろ正妃は、夫のことも、娘の事も、まるで愛さない人だった。政略結婚であったから、夫のことは半ば憎んですらいた。彼女が娘をある程度まで育てたのだって、ただ夫の愛した妾(元は王の侍女であったという)に負けんとした為である。
 そんなこんなでその娘は、母親に何かしてもらった記憶がない。
 覚えていることといえばその言葉だけで、それも『あの元は侍女なんていう女の息子になんか決して負けるんじゃありませんよ』という、なんとも激しい一言だけである。
 シャーリー自身も、母親がそれほど好きだったわけではないけれど、それでもやっぱり母親だから、その言う事をしっかり聞いて、自分の兄に対抗するように生きてきた。
 兄が勉学で良い記録を収めれば負けじと勉学に励み、兄が剣技に優れていると聞けば女の身でも剣を持ち、兄が乗馬で芳しい成績を収めれば自ら馬に乗り、遠乗りに行くことさえした。
 それが妾を心から愛していた王には気に入らなかったのか、シャーリーは父親に愛された記憶もほとんどない。それでも母親よりは幾分穏やかで、良い記憶がいくらか残っている。
 けれどその全てもこうして決着してしまった。
 どんなに血筋が正統でも、良い子であっても、どう頑張っても、愛には勝てなかったのだ。




 窓枠に肘をついて、シャーリーは溜息をついた。
 自分のここまでの全人生は、一体なんだったのだろう。
 母親のいう事を聞いて一生懸命兄に対抗したのに、頑張っても頑張ってもその母親には愛されず、その対抗がかえって父親を遠ざけて、こんな結果を導いてしまった。
 なんとも遣る瀬無い。
「……邪魔ものはさっさと嫁にでも行け、ってコトになるんでしょうね……」
 これ以上王宮に居ても、ただ飯食いだ。
 だったら政略結婚でもさせて王家の役に立ってもらおう、それがこの当時の当然の世相であった。
「……そりゃあ確かに、わたくしはもうお邪魔でしかないけど」
 でも、なんだか。
「切ないなー……」
 はぁ、と深くついた溜息が、秋の空に昇って消える。
「おや、溜息?」
 扉の前から聞こえた声に、迂闊、とシャーリーは心の中で歯噛みした。
 よりによってこの男の前で、こんな姿を見られるとは。
 よりによって。
 声の主は断りもせずにずかずかと部屋に入ってきて、シャーリーの横に腰掛けた。
「……何の御用ですの? 陛下」
「そんなトゲトゲしなくても」
 そう笑うその微笑みすら憎たらしくて蹴飛ばしたくなる。けれどその衝動を必死に我慢して、シャーリーは目の前の男に目を向けた。
(神様は、残酷だわ)
 父親が死ぬその時まで、まともに顔も見たことがなかった自分の兄は、それは美しい顔をしている。
(そりゃあ、セリアがすごく綺麗なのは認めるけど)
 セリアと言うのが王の妾の名である。元は王の侍女で、貴族としての位は落ちぶれかかった男爵家、という位の低さだけれど、彼女は絶世のと言われるほどの美女だった。
 その艶やかな黒髪と透き通った緑の目、それから雪より白い肌は、彼女を敵視しているシャーリーにだって美しいと思えるほどだ。
 シャーリーが嫌ってやまない彼女の兄上も、そんな彼女に良く似ていた。
(だからってこの男にまで、こんな美貌を与えなくたっていいのに)
「シャーリーが溜息なんかついてるからどうしたのかなと思っただけだよ」
「わたくしの名前はシャーゼリンディリアですわ」
 シャーリーなどと気安く呼ぶな、との明確な意思表示であるが、彼は一向に介さない。
「そんな他人行儀な」
 たった1人の家族なんだから良いだろう、と言う兄が憎らしくてたまらない。
 父に愛され母親に愛され。そうして育った身の上だから、こんなに屈託なくそんな事が言えるのだ。言われるこちらの身にもなって欲しいと、シャーリーは本気で泣きたくなる。
 私はあんたが嫌いなのよあんまり近寄らないでちょうだい、とは間違っても言えないのが辛い。
 何せ一応兄で、しかももうすぐ戴冠式を経て国王になる人であり、んでもって家来達の心を早くも掴みかけてしまった、文武両道な美形青年なのだ。彼を敵に回し、身の周りの人間を敵に回すのは、後ろ盾と言うのものを失ってしまった今の身には余りにきつい。
「陛下はこのようなところで何をなさっておいでなのです?」
「気晴らしに散歩でもと思っていたところだよ」
 そこの突き当たりの階段を降りていこうと思っていたんだ、とまたも屈託のない笑顔で返して下さる。
「ならばいっていらっしゃいませ。午後の政務に支障が出たら宜しくないでしょうから」
「シャーリーも一緒にどうだい?」
 張り倒したくなる衝動を内に押さえて。
「陛下には失礼ですけど、お断りさせて頂きますわ。あまり気分が良くないんですの」
 大仰に溜息などついてみる。本当に頭が痛い気がして来た。
「大丈夫かい? ならば早く部屋に戻ったほうが……」
「そうさせて頂きますわ」
 そう言って、できるだけ優雅に立ち上がる。毅然として頭をもたげて、しっかりと前を見て足を踏み出す。
 扉の前で一礼して、すっと消えた。

 後に残った王子は少し悲しそうに苦笑する。
 そして、あの少女に近づくことは、並大抵の努力では出来なさそうだと思った。




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2




 来月には国王になる王子は、アルファルタイドという名で、両親からは愛を込めてアルファと呼ばれていた。幼い頃は天使のような容貌をしていて、王宮内の愛を一心に集めたものだ。因みにシャーリーとは1歳違いである。
 アルファはシャーリーとは違い、両親に深く愛されて曲がることなく真っ直ぐに育った。賢明で聡明で美しい、まさに絵に描いたような王子である。
 しかしアルファは、大人しい性格の母の影響で、自分が王になることがあろうとは思わずに育った。当然、自分が妾腹であることも十分に承知である。だから、王になれとの指名を受けた時は困惑の方が先に立った。
 それでもそれを受け入れ、父親の死を深く悲しんだ。今でもまだ、しっかりと喪に服している。

 そんな何もかもに恵まれた彼の、たった一つの悩みは自分に決して打ち解けようとしない妹の存在である。
 美しい銀髪に宝石のような青紫の目を持った少女は、いつ会っても敵意以外のものを彼に見せようとはしない。それが、たった1人の妹だというのだから、悲しくもなろう。彼の妹でいたくないのか、愛称で呼ばれることさえいやがるのだ。
 人に嫌われるという経験のほとんどないアルファにとってそれは衝撃で、新鮮ですらあった。


 母親にも父親にも似なかった妹をアルファが初めて見かけたのは、彼女が12になった時(この国では12歳が成人の前の一区切りとされている)、王が自分の御前に彼女を召して、それを祝った時である。
 紫水晶のような色の揺らめく炎を燈した、苛烈な目をした少女であった。彼女は静かに彼に、『あなたがわたくしの兄上なのですか』と問うた。
 それまで彼は、妹の存在すら知らなかった。
 そしてそれを知り、彼は自分を最低な兄だと思った。
 そして妹と仲良くなりたいとさえ思った。
 けれど。
 あれから5年、彼女が彼に打ち解けてくれたことは一度だってない。あの美しい目に苛立ちと怒りと憎しみ以外の炎を浮かべたことは一度だってない。

 アルファはそれを悲しいと思う。
 けれどどうにもならない。
 それに、アルファは妹も知らない彼女のことを一つだけ知っていて、それがなおのこと彼を悲しくさせた。




 しばらくふらふらと城内を彷徨ってから部屋に戻ると、心配そうな顔をした乳母が待っていた。
「お加減が優れないとお聞きしましたのに、どこへ行っていらしたのです?」
「誰から聞いたの? あの男から?」
「姫様、仮にも兄君なのですよ、あの男などとは……」
 それに、じきに国王になられる身の方でありますのに、と乳母は眉をひそめた。
「あなたもあの男の肩を持つわけ?」
 シャーリーはやや投げやりにそう言って、長椅子に身を投げ出した。
「わたくしはいつだって姫様の見方ですけれど」
 そんなに悪い方だとは思いませんよ、と彼女は言う。
「……分かってるわ。誰が悪いわけでもないのだし」
 客観的に見れば、悪人ではないことくらい分かっている。むしろ善人であり、確かに国王には相応しいかもしれない人材であることぐらい、知っている。
 けれど。
「だけれどわたくしはあの男が嫌い」
 乳母は溜息をついただけだった。



 王宮において不遇な姫君への風当たりは強い。表立っては皆が敬意を払うが、実際の所彼女を敬っている人間はほとんどいないといって良いだろう。皆がどちらかと言うと人間の出来た王子寄りであり、姫君1人が宴や催しに呼ばれない、などと言うことは最早日常茶飯事であった。
 彼女が幼い頃に彼女を持ち上げていた人間達も、彼女が国王になれないと知るや、あっという間に離れていった。
 そんな人間はこちらから願い下げだと、彼女は思う。
 そして、人は嫌いだと、そう思う。
 とくに友人もない彼女は、じきに図書館に篭るようになった。
 笑顔の消えた彼女を笑顔にするものは本だけ。
 古い本を大切そうにめくっていく彼女のもとを、ふらりと兄が訪れた。

「やあ」
「……おはようございます」
「今日は元気そうだね」
「お陰様で」
 彼女は相変わらずである。
「読書は楽しいかい?」
「ええ、とても」
 簡潔過ぎる返事に、会話が成り立たない。困った王子は話題を探す。
「庭に薔薇が咲いたのは知っている?」
「はい」
「じゃあ、ミルドレットに二人目の子供が生まれたのは?」
「それはおめでとうございます」
「……会話にならないんだけど」
 溜息を付いて、シャーリーはアルファを見上げた。
「わたくしは本を読んでいたのですわ」
 邪魔をするな、という暗黙の言葉である。アルファは軽く肩を竦めた。
「……邪魔をして悪かったね」
「陛下はどうしてわたくしをかまうんですの?」
「まだ陛下じゃない」
「では殿下」
「……せめて兄上と言って欲しいなぁ……」
 アルファはやれやれと溜息をついて、その美しい顔を悲しそうに曇らせた。
「いつもシャーリーがひとりだからだよ」
 姫君はどうでも良さそうに言った。
「ひとりの方が好きなのですわ」
「それじゃあ逆に聞くけれど、シャーリーは何故私を避けるの?」
「そう育てられたからですわ」
 簡潔過ぎる一言だった。
「殿下、お願いですから、わたくしに構わないで下さいませ。とくに、わたくしが図書館にいる時は」
 ひとりでいさせて下さいませ、と彼女はそれはそれは冷たく言い放った。
 そこには、この静かな時間を汚すな、との怒りが込められていた。

 溜息と共に彼が図書館を出ると、そこにシャーリーの乳母が立っていた。
「確かシャーリーの……」
「乳母のリラにございます」
 彼女はそう言って深々と頭を下げた。
「アルファ殿下、姫様を許して下さいませ」
「許す?」
「あの方は殿下を嫌っていらっしゃいます」
 彼女は嫌なことをあっさりと言った。
「それは、やっぱり王妃様のせい?」
「それもございましょうが」
 乳母の瞳はあくまで悲しげだ。
「殿下は姫様に比べて、恵まれすぎていらっしゃる。ですから、殿下が何をなさっても、姫君には偽善としか映らないのです」
 あの方はわたくし以外に心を開こうとなさいませぬ、と彼女は泣きそうに呟いた。
「幼い頃は、本当に愛らしい姫でしたのよ」
 と彼女は微笑んだ。己が育てた姫を深く愛していることは、疑いようもなかった。
 けれどアルファの胸に響いたのは。
『偽善』というその一言。
「ああ、姫様が呼んでいらっしゃる」
 彼女は図書館の中へ滑り込んで行く。その背をアルファは呆然と見送った。





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3




 それからすぐだった。
 あの噂が城内はおろか、国中に広まったのは。それも、あっという間だった。

『姫様は前王の御子ではない』
『王妃様の子であるかどうかも疑わしい』

 そんな言葉が国中でひそひそと、囁かれた。
 当然それは姫君の耳にも入り、彼女は憤懣やる方ない日々を過ごしている。
 初めにこっそりと話し出したのは、王の侍女たちであったと言う。それから家来達に広まって、正妃の侍女達までが話しだし、噂はどんどん大きくなった。

『陛下の侍医は正妃様を診ていないと言っている』
『陛下がその頃に正妃様を訪れた事もないと言うぞ』
『正妃様が御懐妊なさっていたのを見た記憶がないわ』
『それじゃあ、ねえ、やっぱり』
『あらじゃあ姫様はどこから出て来たのかしら?』
『さあねえ? でも確かに陛下にも正妃様にも似てらっしゃらないしねえ』

 疑惑はあっという間に圧し掛かるほどに大きくなって、シャーリーの暮らしに覆い被さった。
 廊下を歩けば後ろ指をさされ、笑われ、除け者にされる。
 誰も庇ってはくれない。
 シャーリーの溜息は大きくなるばかり。



 東屋でひとり泣きそうに溜息をついていた彼女のもとを訪れたのは、またもあの兄だった。
「泣いてるのかと思ったよ」
「わたくしは泣きません」
「……噂、聞いたね?」
「これだけ皆が口さがなく言っていて、知らないのではわたくしも相当な馬鹿ですわね」
 シャーリーは自分を嘲笑う。
「聞けば聞くほど、納得できることばかり」
「噂を信じるの?」
「信じたいわけではありませんわ」
 けれど、自分が2人の子ではないとすると、これほど納得の行く事もないのだ。
「目の色も髪の色も違う。なにより顔だちが似ていない」
 他人の子ではそれも道理、と呟く。
「他人の子を無条件に愛せる人はほとんどいないのですわ」
 構われなかったことも、愛されなかったことも、王位が譲られなかった事も。もし自分が実は他人の子であると二人が知っていたせいだったとしたら。
 それ以上に納得できることはない。
「逆にわたくしは殿下にお聞きしたい」
 彼女の瞳が再び苛烈な炎を宿す。
「皆が言っています。殿下はとうにその事を御存知だったと。御存知で黙っていらしたのだと」
 御存知でありながら庇っていらしたのか。自分につれない、あの苛烈な姫君を、庇っていらしたのか。なんとお優しい方だ、と皆が言っている。
「それは、本当ですか?」
 アルファは返事をしなかった。
 けれど、無言こそが回答なのだとシャーリーには分かる。

 不意にシャーリーは笑い始めた。
 最初はくすくすと小さく控えめだった笑いはどんどん大きくなって、ついには高らかに大きな声を上げて、彼女は笑い出した。
「シャーリー……?」
「だって、考えても御覧なさいませ! なんて滑稽なこと!!」
 笑う彼女にアルファは背筋の寒いものを感じた。
「考えて御覧なさいませ、殿下! 赤子がひとり、あなたに張り合わせる為だけに、どこかから連れてこられたのですわ! その赤子は、負けると初めから決まっていた争いに、本気で、本気で挑んでいたのですわ!」
 勝てるはずもない争いに。本気で。なんと、滑稽な。
「しかもその赤子は自分こそが正統だと本気で信じていた! 正統どころか、片方の血すら流れていなかったのに」
 シャーリーの目が、ギラギラと光る。そして、自分に向かって吐き捨てるように言った。
「馬鹿な子! 初めからお前の居場所などどこにもなかったのよ」
 それから目の前の人物に向かって、懇願にも似た声で。
「あなたがいなければわたしは、親から愛される子供でいられた?」
「あなたがいなければ、わたしは人を愛せた?」
「あなたさえいなければ、わたしは、幸せな子供になれた?」
 親の愛をひとり占めにした子に、親に愛を与えられなかった子。
「王女でないわたしの居場所は、どこ?」

 王女であると信じていたから、恥を曝すようでも王宮に残っていたのに。その資格すらないのだとしたら?

「シャーリー……」
「わたしはあんたが嫌い。大嫌い。シャーリーなんて気安く呼ばないで」
 ためた言葉を、吐き出す様に。
「愛されたあんたが嫌い。なんでも持ってるあんたが嫌い。人を愛せるあんたが嫌い」
 涙も出ないほどに乾いた、紫水晶の目。
「わたしの全てを否定する、あんたの存在が嫌い」

 言葉を失うアルファにシャーリーは、いままでにないくらいに美しく微笑んで、告げた。
「さようなら、世界で一番憎らしい人」

 去っていく後姿に、ほとんど怒鳴る様にアルファは叫ぶ。
「わたしが消えれば君は満足するのか?!」
 艶然と微笑んで振り返った少女は、首を振った。
「失った17年間はどうしたって戻りませんわ」
 それはあまりに美しい微笑。





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4




 その晩である。部屋で机に向かったままうとうととしていたアルファは、騒々しい物音で我に返った。
 耳を澄ませば、誰かが部屋の前で言い争いをしているようである。金切り声にも似た悲鳴が彼を呼んでいた。
「何事だ!」
 と苛立ちを隠しもせずに扉を開けると、そこではシャーリーの乳母のリラが、男達に取り押さえられながらも暴れまわり、アルファの名を呼んでいた。
「お前は……」
 リラはアルファを見とめると、絞り出す様に声を上げた。
「アルファ様、姫様に何を仰ったんです?!」
 それを聞いたアルファは、リラを取り押さえる男達を一喝して彼女から引き剥がし、彼女をしっかり立たせた。
「シャーリーがどうかしたのか?」
「先ほどふらりと戻ってこられたと思ったらまたふらりと出ていかれて、それ以来お戻りになられないのです」
 彼女は存外しっかりとそう言った。
「何を仰ったのです?」
 彼女の瞳もまた、あの少女に似た激しい光を帯びている。
「姫様は少々の事では動じない方。その姫様に何かあったのだとしたら、アルファ様、あなたが何かなさった時だけです」
 憎しみに近い輝きを宿したその光をリラが放つのを初めて見たと、アルファも周りの者達も、共に思う。
「姫様はアルファ殿下に対抗する事だけを目標に育てられた方」
 それだけが生きる理由だったのだ、と彼女は叫ぶ様に言った。
「アルファ様、何を仰った?」
 まさか、と呟く様に。
「姫様が、陛下と正妃様の御子でないと、あなたが、認めた?」
 流れてゆく無言の時に耐え兼ねたように、不意に彼女は蒼褪め、その場にくず折れた。
「……そうなのですね?」
 手を貸すアルファを振り払う様に、真っ青になって、呟く。
「……姫様の生きてきたすべてを、奪われたのですか?」
「奪ってなど……」
「同じ事です」
 リラの脳内が目まぐるしく動き出す。
「……天使のような顔をした、悪魔のような恐ろしい方……」
 走り出す彼女に、叫ぶ。
「どこへ行く?!」
「姫様を探します」
「だからどこへ行くんだ!?」
「心当たりの全てに」
「何の心当たりだ?!」
「姫様が……」
 振り返って、嘆く。

「死に場所に選びそうな所、全ての」






 なんと無駄な人生だったのだろう、と彼女は呟いた。
 勝てるはずもないのに勝つことを望み
 愛されるはずもないのに愛されたいと願い
 無駄に頑張って、誰にも認められず

 張り合う為だけにつれてこられ
 その為だけに育てられたのに

 張り合う資格さえなかったのだ。

 ではこれからどうしたらいいのだろう? 張り合う必要がなければ私は、何を目標にして生きていけばいいのだろう?
 目標になるものなんて何もない。私は彼に張り合うこと以外のことは、何も、知らない。何も、出来ない。
 張り合うことだけが生きている理由だったのだから。
 目標なく屍のように生きるくらいなら、本当の屍になった方がどれほどよいか。


「本当に、つまらない人生」

 ぱしゃん、と足を濡らしたまま、彼女は呟いた。
「何のためにこの世に生を受けたのかしら」
 するりと身を水の中に滑り込ませれば、水が、まとわりつき絡まるように、冷たく体の熱をゆっくりと奪ってゆく。
 あっという間に腰が浸かり、彼女の美しい銀糸のような細い髪が、月の光に輝いて水面をたゆたう。
 水を吸い、まとうドレスが徐々に重くなってゆく。髪が水を含んで、しっとりと体にまとわりついた。常なら焦るこの状況も、今の彼女にはただ気持ちが良いと思えるだけである。
 包むように優しく、ひんやりと火照りを冷まし、うっとりと、水底に引き込むように、静かに、静かに沈んでゆく。

「死後の世界が、幸せなところだといいな」

 こんな自分でも、ほんの少しでも幸せになれるようなところだといいな。
 頭が水面より下に沈んで、呼吸が出来なくて苦しいのに。
 思うのは、水越しに眺めた美しい月のこと。

 つまらない人生の最後に見たものが、せめて美しいもので良かった。




 瞳を閉じた瞬間に、美しく静かな世界を何者かがばしゃばしゃと激しく掻き乱した。
 入った邪魔に彼女は、こんな時まで何一つ上手くいかないのね、と腹立たしさを覚えたけれど、腹立たしさを感じることすら最早馬鹿馬鹿しい気がして、そのまま意識を手放した。





 取合えず、平手打ちを食らった。
 加減がされていたのは分かるけれど、それでも、信じられないくらい痛かった。
 ぼんやりとした意識の中で、痛いということだけが身に刺さるように情報として脳に届いた感じだ。
 叩いた主は、綺麗な黒髪にエメラルドみたいな緑の目を燃え立たせた、美しい男。あれほどの憎しみが嘘のように、もうどうでもよくなって、ぼんやりと相手を眺めてみたりする。
「何を考えているんだ!?」
 自分を引き上げようとして水に浸かったままアルファが叫ぶのも、どこか遠くの出来事のように感じる。
「何を考えていたのかしらね」
 そう自分で呟いて、どことなくそれが阿呆のようで、笑いたくなる。
「解放されたかったのに」
 濡れた自分の髪がうっとおしい。この地に己を縛るかのように、伸びた髪。
「これ以上生きる意味がないんだもの」
 自分が微笑んでいるのが分かる。場違いなくらい、優しげに微笑んでいる自分が分かる。変な感じで自分で気味が悪い。
「だってそうでしょう? あなたに逆らう以外の生きかたを知らないのに、それが不要のことになってしまったんだから」
 自分が真実王女であったなら、王位になくとも彼に反抗し、争っていく事も出来ただろう。けれど、自分は王女ではない。反抗する資格がないのだ。
「だからもう、どうでもいいのよ」
 彼の手を払って、水からの力で岸に上がろうとした。けれど、力が抜けて、またずるりと水に沈んだ。
「ああもう、無理をするな!」
 焦ったように無理矢理抱えあげられて、反抗する気力さえ残っていないシャーリーは、馬鹿みたい、と笑った。
「わたくしの望みは何一つ叶えられないのね」
 そう、死ぬことすら。





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5




「シャーリーは私の妹ではない、けれど」
 アルファが自分を庇うように回りに演説をしているのを、遠くぼんやりと聞いている。
「父上が娘と認め、正妃様が御育てになったのだ」
 空回りしていく言葉。胸にすとんとこない、歪んだ響き。
「それなのに何故王宮から追い出す必要があろう?」
 あまりに空虚で、曖昧なその言葉に、納得しかかった周囲のものを、決定的に突き放す言葉を投げかけるのは、彼女の方だ。
「父上はわたくしを娘と思ってはいらっしゃらなかった。母上も、わたくしを育てては下さらなかった」
 彼女の言葉の重みは彼の言葉の重みより遥かに重くて、その場の人々の心を揺らす。
「わたくしを育ててくれたのはリラだけ」
 その彼女が母親であったらどんなによかったか、とふと思う。
「わたくしはもう、王女ではない。王家の者ですら、ない」
 彼女はもう、何も見ていない。その視線が彷徨うのは、窓の向こうの晴れ上がった空だけ。
「これ以上、ここにいて何になりましょう」
 それは、決定的な決別の言葉。
「わたくしはシェルシェ州の離宮に参ります」
 シェルシェ州の離宮――それは王家を追放された王族が、ひっそり寂しく住まう、鄙びた村の片隅にある、崩れかかった古城。
 追放もとうに昔の風習になった。今は誰もいない。
「シャーリー?」
「これ以上ここに残る方が、逆に辛いのです」
 いい思い出のない王宮に留まるより、何もない鄙びた田舎で静かに死にたい。
「それが、今のわたくしの、たったひとつの願い」
 最後にひとつくらい願いをかなえてくれたっていいだろう、と最初で最後の我侭を。
「わたくしの痕跡を全て、ここから消して、旅立ちます」
 はじめからシャーゼリンディリアなどという名の姫は存在しなかった。そう言うことにして欲しい。
 そもそも王女ではないのだから、嘘にはならない。

 異を唱えるものは誰一人としていなかった。



 ドレスを焼こう。自分を縛ってきたこんな煌びやかなドレスはいらない。荷物は最低限でいい。本は図書館に全て返そう。もとよりわたしの持ち物ではない。ティアラは誰か、これから生まれる王女の為に。ダイヤもエメラルドもサファイヤも、売ってしまおう。
「いいのよ、リラはついてこなくて」
「姫様おひとりでは1週間で飢え死ぬのが落ちです」
「わたくしはもう姫ではないわよ」
「ならばシャーリー様とお呼び致しましょう」
「敬語はいらない。どこの娘かも分からない私より、男爵家の出のリラの方がきっと位は上よ」
「そんなことはないでしょう。人には生まれ持った品格というものがございますから」
「リラには品格があるわ」
「シャーリー様にだってございますとも」
「田舎暮らしを選択するような娘に?」
「ええ。さあ、まとめられるだけまとめてしまいましょう!」
 シェルシェ州までは王家の馬車が送ってくれるという。王家からは何も持ち出さないと心に決めていたのに、それだけはアルファに押し切られてしまった。


 シャーリーが馬車に乗ると、そこではアルファが待っていた。
「最後くらい、いいだろう?」
 どこまでも図々しいと思ったけれど、もう憎しみも何もない、ただの他人としてしか見られない次期国王に、彼女は頷くほかはない。

 馬車で片道三時間ほど。
 からからと車輪は回る。

 何ひとついい思い出のない王宮なのに、視界から消えそうなその瞬間、不意に涙が溢れて止まらなくなった。
 悲しい時に彼女を包んでくれたあの木の葉擦れの音や、死のうとした彼女を抱き締めた水の優しさや、悲しくなるほど心地よかった図書館が、流す涙に乗って一つ一つ、雪のようにとけて消えていく。
 アルファもリラも、何も言わない。
 シャーリーもただ泣くだけで、何も言わない。
 17年。誰からも愛されない彼女を包んだ、たったひとつの場所。

 王宮が見えなくなってすぐ、シャーリーは眠ってしまった。だから何も覚えていない。ただ、気がついたらシェルシェ州の小道を馬車が走っていた。
「シャーリー様、ほら、見えましたよ」
 湖水のほとりの崩れたお城。森に包まれた、悲しい離宮。
 それは思いの外しっかりと、地に融け込むように建っていた。

 馬車から荷物を下ろし、リラの開けた扉の向こうへシャーリーが消える直前に、アルファが彼女を呼びとめた。
「何?」
「最後に、お別れを」
 相変わらず憎たらしいほど綺麗な顔で、彼は呟いた。

「わたしはあなたが好きだった。12のあなたを見たあの時から」

 その瞳に燃えた苛烈な炎の美しさに心奪われ、憧れてすらいたのだ、と彼は静かに告げた。

「だから、血の繋がりがないと父上から聞かされて、嬉しかった」

 そう、とシャーリーは透き通った目で言った。

「あなたの銀の髪と、青紫の強い瞳が、何より好きだった」

 そう言ってアルファは哀しそうに、しかし美しく微笑んだ。

「残念ね。もっとずっと早くにそれを知っていたら、まだあなたを嫌わずにすんだかもしれないのに」

 シャーリーのその言葉に、アルファはまた微笑んで踵を返す。
 馬車に乗りこむ直前振り返って、小さく手を振った。
 シャーリーはそれを何となく見送る。

「私は時々ここを訪れるかもしれない。見かけても気にせず放っておいて下さい」
「そういたしますわ」
 ごきげんよう、そう言って馬車は遠ざかっていく。彼女が17年を過ごしたあの都へと、彼女がきっと二度と帰らない都へと、帰ってゆく。


 反目することが生きる全てであった男が、遠ざかってゆく。





 道に座り込んで馬鹿みたいに彼女は泣いた。
 馬車は決して戻らない。











 愛と憎しみは何よりも似ているのですよ、とリラは言った。



>>あとがきへ
あとがき






母と信じた人からも
父と信じた人からも
ひとかけらの愛ももらえなかった少女。
ある男に反目するのが人生の全てだった少女。

誰より愛を欲していたのに
その何より求めていた愛を捧げたのが
その反目していた男だけであったとき
何より欲するそれを拒むしかなかった少女。


静かにゆっくりと 壊れるように
すべてを諦めていった少女。


そういう、おはなしです。



高校3年生、つまり2年かそこいら前に書いた作品。
あまりに稚拙な文章表現に吃驚しています。 高校生の私って……勉強してたんだろうか。漢字間違ってるじゃん! しかし、敢えて手直しをせずに出しておきます。きっと書き直したらもうちょっとマトモな話になるんだろうなー……。
反省の気持ちを込めに込めて。

精進、精進……。


紫炎:2003/04/12



再掲にあたって
書いたのは17歳の時です。
掲載したのは20歳の時。
そして今、25であります。
おお……人とはかくも進化しないものよ……と思いながら読みました。が、暗い話を暗いままーに書いちゃう辺りが高校生だったなーと、思います。暗い話はオブラートに包んだ方が、読みやすいですよね。あと、設定はちゃんと書けよ自分、と思いました。生かせてなさすぎる。
しかし、時を経て読み直すと、自分が書いたものに見えないから良いですね。冷静に読み返すことが出来ます。8年はちょっと経ちすぎですけれども(笑)
(2008/12)

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